佳◯(よしまる)流 家計のそもさん/せっぱ

家庭(または企業)のスリム化や資産運用を応援のはずが今やただの雑記ブログに…w

日ハムすげぇなw清宮もかよw

いやぁ。清宮は日ハムかぁ。7球団指名ってそれもまたこの時代に凄いね。

毎回、このチームのドラフトはすごいよなw

 

 

何と言っても超スターが絶えないのがこのチームの凄いところ。流出してもすぐ次のスター候補が取れるもんね💦

ダルビッシュ

中田翔(良くも悪くもw)

大谷翔平

他にも新庄やハンカチと言ったところも含めて、

常に話題を提供出来る(良くも悪くもw)ところが凄い‼️

ただ、新しいスターが誕生するとやはり誰かが押し出されるのが勝負の世界であって、その選手が好きだった人となるとまた気持ちも微妙になってくる。

 

 

自分はずっとプロ野球好きだったんだけれど、実は

結構ミーハーで💦

◯◯一筋なんてのとは程遠いのよ💧

 

 

今でこそ地元楽天だけど…。色んな球団が好きになってた。どっちかって言うと

球団そのものより好きな選手がいるかどうかが大きいのかも。

 

 

東北高校時代から好きだった大魔神佐々木が横浜入った時は横浜が好きで日本シリーズも観に言ったし。その前は近鉄ファンだったのです。

 

 

で、またいつものごとく話が逸れたので戻すと、新たなスターが誕生しようとする時は、これまでのスターと入れ替わることが多い。それがいわゆる

世代交代

と言われるものだ。

ダウンタウンが出てきての紳竜

貴乃花にとっての千代の富士

など、挙げていけばキリがないんだけれど、自分にとって近鉄ファンから横浜ファンになったのは佐々木が入っただけではない大きな原因があった。それがそう佐々木と同期で、ドラフト史上最高の8球団に指名された

野茂英雄

の存在だった。自分は日本球界にいた時の野茂に実は

良い感情はなかった

のだ。なぜかと言うと、自分はとにかく

阿波野秀幸投手が大好き

だったからだ。このドラフトの年(1990)。そしてその前年(1989)は、

伝説の10.19

そして三つ巴の末の翌年のリーグ優勝

近鉄として最高の盛り上がりを見せ、そのチームを間違いなく牽引していたのが、阿波野だったのだ‼️彼の躍動感あふれるフォームがたまらなく好きで、週刊ベースボールの特集号も穴が開くほど読んだ。

 

 

そんな彼の地位を脅かすような野茂フィーバー。いやいや。近鉄のエースは阿波野だろうという思いが強いあまり、正直野茂ファンにうんざりしていた。阿波野の注目度が野茂に取って代わられる中、さらなる悲劇が起こる。それが、

ボーク判定の厳格化だ。

これにより、それまで牽制が上手いと言われていた阿波野が当時の森監督、伊原コーチの講義によりボークの判定を受け、この年を境に成績が下降線を辿る。一方この年は野茂氏が新人王をはじめタイトルを総なめにしたことで子供だった自分は、

好きな選手の成績下降の原因を野茂氏のせいにして一方的な嫌悪感を抱いてしまう。

まぁ、自分に嫌われたところで痛くもかゆくもないのは百も承知だけどねwそれだけにとどまらず、仰木監督や球団に対しても不信感があったなぁ〜結果的に球団への不信感は正解だったみたいだけどね。阿波野だけではなく野茂も確執があったみたいだし💧結局、野茂を応援できるようになったのは大リーグ行ってからだった。

 

 

で、一気に横浜。当時は大洋ファンに傾くんだけれどね。須藤監督も好きだったしwその後、横浜ベイスターズになり権藤監督のもと優勝した頃、佐々木はもちろんだけれど、この時何が良かったって…近鉄から巨人へ移籍したどり着いた横浜で中継ぎとして50試合以上の登板をし、当時とは違った形で

阿波野秀幸が大復活していた。

権藤監督は近鉄時代の投手コーチだったこともあり、その監督のもと観に行った日本シリーズで、阿波野と佐々木が投げた勝ち試合を体験できた時は近鉄ファンだった時期もあった自分にとってホントに涙が出そうだった😢

 

 

清宮が入り、日ハム特有の英才教育。この手法はホントに先を見て凄いなと思うけれど、そのために枠がひとつ減る事は当然あるわけで、それは致し方ない事なんだけれど、ここからまた厳しい戦いの物語が始まるんだなと思ってしまう自分がいるのでした。

 

 

ポジションも役割も違うだろうけれど、それでも心配💦

大丈夫か❓杉谷w‼️


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